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わたしは、
ACCESSコンシャスネス

バーズ、ファンデーション、ボディクラスを
それぞれ受講してファシリテーターになった。


ファシリテーターは講師として教えることが出来る人。

でもね。
ファシリテーターといっても偉くはないから。

ただ知っているだけ。
やり方を理解しただけ。


ただそれだけなのだ。


ギフレシを行うと、
不思議なことを聞くことがあります。


「わたしはバーズしか出来ないんです。」
「○○と○○とバーズだけならあります。」


それって、どう言うこと?
だけ?
しか?



ええやん。
出来るのだから。
すごいことだよ。


自分は、普通の人と思っている人は
バーズを習うことも一生ないんだから。


プロセスの手数が少ない=出来ることが少ない?


とでも思っているのかなぁ。
プロセスは多ければ良いと言うわけでもなく。


どれだけやったかじゃないのかなぁ?

どれだけ自分の新しい面を見つけられた?
それとも感じられた?


~だけ。
~しか。


自分を小さく見せようとしている?


チクチク

ちくちく


意外に小さいけれど
チクチク
自分に刺さってることに気づいてるのかなぁ?

知っている??


ヒューマノイドは
自分を小さく見せようとすると
息苦しくなっちゃうんだよ。


呼吸のボディプロセスもあるぐらい。


なんか、居心地悪くなっちゃって。
なんか、毎日つまらなくなっちゃって。


いやいや。
小さくなる必要なんてないから。


バーズもどれだけやってみた?
飽きるぐらいもっと、やってみたら?


「わたしはバーズがすごく好きなんです。」

「わたしは、これとこれが特に、うわーって感じられたんです。だから覚えました!」


このプロセスが好き。
このプロセスがあったから変化を感じた。


とか、好きな面が大きくなったら
出てくる言葉も。
受け取りかたも変わってくる。


~だけ
~しか


少し限定的なことのようで
なんだかまだ、
受け取れないでいるのかな?


もっと、自分の持っているプロセスに自信を。

私がボディプロセスのファシリテーターを取得してから


ギフレシに参加する度に
聞かれるようになったことがある。


それは
「ファンデーションは、どんな感じですか?」
「3dayボディクラスは、どんな感じですか?」


この質問には何の意味がある?

私には、問いかけでも質問でもないので


答えてはいない。


感想だけ。


このクラスを受けてどう変わるのかは、当人次第。


「面白いよ」
としか私は言わない。


または、
「寝てるだけ」
と言うかもしれない。


あなたは半分以上、90%以上誰かに
説明され尽くした映画をみたい?


終わりの5分か10分だけのエンディングをみたい?


誰かの感情を否応なしに引き連れた
説明され尽くしたストーリーで
何が訪れるだろう。


考えたことがある?


きっと、
期待、投影、批判(ジャッジメント)、決めつけ…


それは、アウェアネスを遮断し
コンシャスネスから離脱して
別のものを形成しているのだ。


「私にそんな変化は訪れなかったわ!」

と、決めつけてしまうかもしれない。


なので、説明なんて愚かなことはしない。


ただ、楽しみにしてエナジーを感じてればいいのだ。


受けた人のワクワクとしたエナジーを感じてみて。


それは説明が難しいから。
人それぞれだから。
照らし合わせるのは無謀かもね。


涙腺が崩壊して、鼻水が出たって
良いじゃない。
必要だから起こっている。すべて。



もし、何をしても、
変わらないと思っているのなら
受けなくていいと思う。


無理して受ける必要もないから。


誰かのようになるとか
誰かと同じように変わるとかはないから。


すべての期待や投影を手放すことだ。
昔はよくあったよね

そう思ったのが、ギフレシでのこと。


ヒールユアライフでの
ギフレシでは毎回ながらも
お菓子を手作りにしている。


最初はね。用意する食べ物は
何がいいかな?と思いつつ
毎回、何か違うものを作っていただけだった。


水と砂糖と塩は
古いエナジーを解放するために必要で
セッションのあとには、体が欲するのだ。


喉が乾けば水を飲む


それと同じこと。
体の腸が蠕動して動き回り
音を響かせ
お腹が空いたりもするのだ。


お腹が鳴るのは恥ずかしいことと
してしまったところはいつのことですか?


「誰かに聞かれたら恥ずかしい」
いいえ。
お腹が鳴るのは当たり前で、
腸が動くのも当たり前。


とても良いことなのです。
体温を保つエネルギーも、
体を作る栄養素も、
腸が動いて用意してくれるから。


ひとりひとり味の好みや味覚が違うから
味の保証はしないけど。


余るほどつくって帰りには
お土産にしていた。


喜んでいただけるので、
次回もまた何かを作ることだろう。

お菓子のお土産というよりは
お裾分け。


最近では聞くこともないと思っていたのは
お裾分けのこと。


お裾分けをすることは
昔はよくあったのです。


最近では聞くこともなく
その機会も失われているような気がした。


いただいた手作りのお萩
たくさん作ったから持ってきたの

「作りすぎ」たなんて、
聞いてしまうけれど。

作った本人も何故かそう言ってしまう。


「美味しくないかもしれないけど」
これって、
日本独特の言い回しなのだけれど
けっこう自分にイジワルな言葉だ。


本当は、
誰誰さんと、誰誰さんと、、、
と思って作っているのだ。


美味しい。


お土産だってそう。
同じこと。


そうして、余るほど持っていって、
「余った分はお子さんに」って。


お裾分け
昔はよくあったよね。
そう母と話した。


いまそういったことは
かなり減っているように感じている。


これは自分の物の見方なのだろうけれど。

昔はよくあったことだよね。


これがいま、
少し変化してよみがえっている。





アクセスコンシャスネスのボディプロセスに
バイオミメティックミミクリーという言葉がある。
生態模倣や生態擬態と訳されている。


バイオミミクリー/バイオミメティック

科学的な産業分野で使われている言葉。
生物から学ぶ、生物もつの良い機能に着想をして技術開発・製品開発に応用し使うことを言うそうだ。

日本では、
生物・植物の機能、構造を研究しヒントを得た製品が意外とある。
家電、繊維、スポーツ用品、塗料、建材など幅広く存在する生物模倣技術がある。

ナイロンは蚕の吐く糸からヒントを。
イルカのヒレや蝶の羽、カタツムリの殻、蜂の巣の構造などがある。

このような生態模倣を行う研究はとても有益なことです。


しかし、アクセスコンシャスネスのバイオミメティックミミクリーは違います。
他人を真似したり、理解しようとして身体に閉じ込めて来たものです。


誰かを頭で理解しようとしたときに、その人の生き方や物の捉え方を真似してしまうのです。


他人の生き方や痛み、現実をどれだけ自分のものにしてしまったのでしょう。



誰かの苦しみや不孝を感じ、それを味わっていたいでしょうか?
何を見ても同じように感じ同じように考える。コピーロボットのようになれるでしょうか?

それは作り出された狂ったドラマのなかに居続けるようなものです。


このような生態模倣から抜け出すと
この人はこういった物の捉え方なのね。
全く違う意見だ。
面白い意見がある。
というように変わるでしょう。


例えば血が繋がっていたとしても。
ああ、そうね。そうよね。とならずに
別のものとして、感覚でとらえるのです。


生態擬態や模倣をすることが無くなれば
本来の自分へと早くたどり着くでしょう。


他に可能性のあることは?





ギフレシは
アクセスコンシャスネスのバーズやボディプロセスを学んだ人へ練習や交流会やお茶会として開催されている。


ギフト&レシーブ

贈り物を受けとる練習だ。

和室の会場を借りたり、誰かのサロンへうかがったりする。
ギフレシではペアを組み。
バーズやボディプロセスを行う。


雑談をしていても良いし、喋りたいことやわき上がってきたものがあれば話す。
それだけで、疑問や抱えていたものの解放が起こる。

たった一度のギフレシでも、その人の人生が変わっていくのを数多く目撃している。


ヒールユアライフ

あなたの人生に癒しを。

それを許せるように
名付けました。