昔はあって今は無くなってしまったもの

昔はよくあったよね

そう思ったのが、ギフレシでのこと。


ヒールユアライフでの
ギフレシでは毎回ながらも
お菓子を手作りにしている。


最初はね。用意する食べ物は
何がいいかな?と思いつつ
毎回、何か違うものを作っていただけだった。


水と砂糖と塩は
古いエナジーを解放するために必要で
セッションのあとには、体が欲するのだ。


喉が乾けば水を飲む


それと同じこと。
体の腸が蠕動して動き回り
音を響かせ
お腹が空いたりもするのだ。


お腹が鳴るのは恥ずかしいことと
してしまったところはいつのことですか?


「誰かに聞かれたら恥ずかしい」
いいえ。
お腹が鳴るのは当たり前で、
腸が動くのも当たり前。


とても良いことなのです。
体温を保つエネルギーも、
体を作る栄養素も、
腸が動いて用意してくれるから。


ひとりひとり味の好みや味覚が違うから
味の保証はしないけど。


余るほどつくって帰りには
お土産にしていた。


喜んでいただけるので、
次回もまた何かを作ることだろう。

お菓子のお土産というよりは
お裾分け。


最近では聞くこともないと思っていたのは
お裾分けのこと。


お裾分けをすることは
昔はよくあったのです。


最近では聞くこともなく
その機会も失われているような気がした。


いただいた手作りのお萩
たくさん作ったから持ってきたの

「作りすぎ」たなんて、
聞いてしまうけれど。

作った本人も何故かそう言ってしまう。


「美味しくないかもしれないけど」
これって、
日本独特の言い回しなのだけれど
けっこう自分にイジワルな言葉だ。


本当は、
誰誰さんと、誰誰さんと、、、
と思って作っているのだ。


美味しい。


お土産だってそう。
同じこと。


そうして、余るほど持っていって、
「余った分はお子さんに」って。


お裾分け
昔はよくあったよね。
そう母と話した。


いまそういったことは
かなり減っているように感じている。


これは自分の物の見方なのだろうけれど。

昔はよくあったことだよね。


これがいま、
少し変化してよみがえっている。





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